無調の音楽 フリージャズから見える人生哲学 – セシルテイラー

先月、フリージャズの偉大なるピアニスト、セシルテイラーが逝去しました。89歳。

個人的に、フリージャズの音楽に触れる時は「純粋な音楽の観賞」ではなく「その演奏家の人なりを鑑賞する」感覚で捉えることが多いです。その感想は往々にして、個性的で荒々しくて人間くさくて、笑ったかと思えば泣いたり喚いたり。。当然ながら、そんな感情むき出しのようなものを長時間聴いていると、ずーっと自分のことを捲し立てている人間のそばにいるようで、息苦しくなる時もあります。

でも、楽器は体の一部とばかりに、自由なスタイルで感情をそのままぶつけているかのような世界は、結局のところ、その人その時の状態を表しているわけです。なので、音楽というカテゴリーから放たれた、もっと広い哲学のようなものをイメージすると、いくらか身近に感じられるかもしれません。

セシルテイラーは、大学で作編曲を専攻しつつ、バルトークやシュトックハウゼンなどのクラシック(現代音楽)を研究したお方。。きちんと系統立ててクラシックを勉強しているからか、一塊のストーリーを見せ、かつ、ピアノの音もちゃんと鳴らしているところは流石です。

音の配置はこんな感じ。

彼の代表作といえば、やはりコンキスタドール。ピアノは打楽器とばかりに、鍵盤を縦横無尽に操り、塊のようなモチーフやミニマムな反復リズムで構成。

Cecil Taylor-Conquistador (1968)

まぁ、こうなっちゃうと、演ってる方が楽しいに決まってる。。笑

いっぽう、こちらはスタンダードであるユードビー。いくらか観賞可能。笑

Cecil Taylor, “You’d be so nice to come home to”, album Jazz advance, Boston, 1956

しかーし。これも「My Funny Valentine」のモチーフか?と思えたのも束の間。あとは溢れ出る音の塊。ここにも一定のリズム刻みはなし。(慣れてくると、この方が自然にも聴こえてきますが。。笑)

それにしても、セシルの訃報に際し久しぶりに聴くフリージャズも、実は一番人間らしい音楽なのかもー、と改めて思ったりしています。また、おそらくメジャーとはなり得ないこのような録音を残したブルーノートも凄い。。

音楽とは人生そのもの。
昨今の情報社会において、ともすると置き去りな人間の感情。人間だからこそ感じたり経験したりする、様々な出来事や人生の変化。。それらを音楽で表現する世界もまた、ひとつの哲学と思う今日この頃です。セシル、R.I.P